鑑定事務所をたたんだら依頼者はどこへ行くのか?廃業が地域に残す4つの空白と「継ぐ責任」
鑑定事務所の廃業は代表個人の引退では終わりません。鑑定業者3,398業者、知事登録業者所属の鑑定士は約13%減というデータをもとに、廃業が地元金融機関・自治体・裁判所・個人の依頼者に与える影響と地域に残る4つの空白を整理し、廃業と承継で手元に残るものを想定ケースで比較します。
「もう歳だから、区切りのいいところで事務所は畳むつもりです」。ひとりで事務所を営む鑑定士から、そう聞くことがあります。後継者もいない、売れるとも思えない、なら静かに終わらせたい。そのお気持ちはよく分かります。
ただ、廃業を決める前にもうひとつだけ考えていただきたいことがあります。あなたの事務所が無くなったあと、これまで依頼をしてくれた地元の金融機関、自治体、裁判所、そして相続で困っていた個人の方々は、どこへ行くのでしょうか。廃業は自分の出口の話であると同時に、地域の評価インフラの話でもあります。
この記事では、私たち鑑定士の立場から、廃業が依頼者と地域に与える影響を依頼者のタイプ別に整理し、廃業と承継で手元に残るものがどう違うかを想定されるケースで比較し、「継ぐ責任」を果たすための現実的な行動を示します。感情論ではなく、データと実務の順序で考えます。
鑑定事務所の廃業は「個人の出口」では終わらない
鑑定業者3,398業者の多くは小規模事務所
不動産鑑定業者の登録数は、令和7年1月1日現在で3,398業者(大臣登録と知事登録の合計)、不動産鑑定士の登録者数は8,789人です(出典:国土交通省「不動産の鑑定評価に係る登録状況」令和7年1月1日現在)。単純に割ると1業者あたりの鑑定士は3名に満たず、実態としては鑑定士1〜2名の個人事務所・小規模法人が業界の多数を占めます。
つまり、業界は「大きな組織がたくさんある」構造ではなく、「小さな事務所が地域ごとに点在している」構造です。1つの事務所が閉じることの意味が、他業種より大きくなりやすいのはこのためです。
鑑定業者に所属する鑑定士は13年で約11%減った
不動産鑑定業者に所属する不動産鑑定士等は、平成23年の5,057名から令和6年には4,496名へと約11%減少しました。内訳では、大臣登録業者所属が990名で約3.4%減にとどまる一方、知事登録業者所属は3,506名で約13%減と、地方の小規模事務所からの減少が際立ちます。年齢構成も40〜60歳代が74%を占め、30歳代以下は7%にすぎません(出典:国土交通省 不動産・建設経済局 地価調査課「業務領域の拡大等を通じた不動産鑑定士の担い手確保に向けて〜論点整理〜」令和7年3月24日)。
減っている場所と、これから引退が集中する年代が重なっている。廃業がひとつ増えるたびに、その地域で代わりを務められる鑑定士の選択肢は目に見えて細くなります。業界全体の動向は「不動産鑑定士の30歳代以下はわずか7%」で詳しく整理しています。
事務所をたたむと、依頼者はどこへ行くのか
地元金融機関:担保評価の依頼先が県外へ移る
地方の鑑定事務所にとって、地銀・信金・信組からの担保評価は民間案件の中核です。あなたが廃業すると、支店や審査部は次の依頼先を探すことになります。県内に別の事務所があればそちらへ、無ければ県外や都市部の鑑定会社へ依頼が移ります。
依頼先が遠くなると、現地調査の日程調整に時間がかかり、旅費相当の費用が上乗せされ、納期も延びやすくなります。金融機関側から見れば、融資審査のスピードに影響する話です。しかも、地域の取引慣行や特殊な物件(市街化調整区域の工場、農地転用予定地、山間部の借地など)に対する土地勘は、一朝一夕には移りません。
自治体・裁判所:公的評価の担い手が細る
固定資産税評価の標準宅地の鑑定評価、相続税路線価の精通者意見、地価公示・地価調査、競売評価。これらは地域に鑑定士がいることを前提に成り立っています。地価公示鑑定評価員は令和6年に2,264名で、平成29年の2,477名から約8.6%減少し、50代の比率が29.7%から43.4%へ上昇しました(出典:同論点整理)。
ひとりの評価員が担当する地点数が多い地域では、退任すると隣接地域の評価員が兼務するか、県外の鑑定士が担うことになります。担い手が減れば、自治体は次の受託者を探す手間と、担当替えに伴う評価の連続性への説明責任を負います。何がどこまで引き継げるのかは「公的評価は引き継げるのか」で種類別に整理しています。
個人の依頼者:相続や共有物分割の相談先そのものが消える
見落とされがちなのが個人の依頼者です。遺産分割で不動産の価額をめぐって兄弟が対立している、共有物分割訴訟で価額を示す必要がある、同族間で不動産を売買したい。こうした場面では、依頼者は「近くで、顔を見て相談できる鑑定士」を探します。
地元に鑑定士がいなければ、依頼者は不動産会社の査定書で代用しようとするかもしれません。しかし査定額は媒介契約の獲得を目的とした売出価格の目安であり、鑑定評価額は不動産鑑定評価基準に従って求めた適正な価格です。この違いが分からないまま分割協議や訴訟が進むことは、地域にとって小さくない損失だと私たちは考えます。
廃業が地域に残す4つの空白
空白は「案件」ではなく「機能」で残る
廃業によって地域に残るのは、次の4つの空白です。
- 評価の土地勘の空白:地域の取引事情、地元業者の相場感、過去の評価履歴が失われる
- 緊急対応の空白:急ぎの担保評価や訴訟対応に、近場で動ける鑑定士がいなくなる
- 公的評価の空白:評価員・受託者の後任探しが自治体側の負担になる
- 育成の空白:その地域で実務修習の指導鑑定士になれる人がいなくなり、次世代が育たない
4つ目は特に重要です。鑑定士になるには実務修習が必要で、指導してくれる鑑定士が近くにいない地域では、地元出身の若手が地元で資格を取る道筋そのものが途絶えます。事務所がひとつ閉じることは、その地域で鑑定士が生まれる可能性がひとつ閉じることでもあります。
一度失われた機能は戻りにくい
閉じた事務所の顧客は、時間をかけて他の依頼先に分散します。数年後に地域内で新しい事務所が開業しても、金融機関の取引ルートや自治体の受託枠はすでに埋まっており、ゼロから作り直すことになります。だからこそ、機能が生きているうちに誰かへ渡すことに意味があります。
ポイント
廃業と承継、手元に残るものの違い(想定されるケース)
ケース設定:売上2,000万円・営業利益500万円の個人事務所
ここでは、地方都市で鑑定士1名が営む法人(売上2,000万円、営業利益500万円、純資産800万円、代表70代、公的評価と地元金融機関の担保評価が中心)を想定します。実在の案件ではなく、比較のための仮の設定です。
廃業を選ぶ場合、鑑定業者としての廃業等の届出を廃業の日から30日以内に行い(不動産の鑑定評価に関する法律第29条)、法人であれば解散・清算の手続、事務所の原状回復、書類の保存といった費用が発生します。手元に残るのは、純資産からこれらの費用を差し引いた額です。将来の営業利益は、当然ながらゼロになります。
承継を選ぶ場合、譲渡価額の目安は年買法(純資産に営業利益の1〜3年分を加えて見積もる方法)で考えます。純資産800万円に営業利益500万円の2年分を加えると1,800万円が一応の目安ですが、公的評価の承継可否、属人性の程度、職員の残留見込みによって上下します。あくまで案件ごとのレンジであり、この金額を保証するものではありません。
比較表:同じ事務所でも残るものが変わる
| 項目 | 廃業した場合 | 承継した場合 |
|---|---|---|
| 手元に入る対価 | 純資産から廃業費用を控除した額 | 譲渡価額(想定1,800万円前後) |
| 廃業・清算の費用 | 自己負担 | 原則として不要 |
| 引退後の関与 | なし | 並走期間中の報酬を設計可能 |
| 職員の雇用 | 解雇・再就職支援が必要 | 買い手への承継を交渉できる |
| 依頼者・公的評価 | 他地域へ分散 | 引継ぎを設計できる |
当社の仲介手数料は完全成功報酬で、譲渡価額2,000万円以下は一律150万円(税別)、2,000万円超1億円以下は7%です。着手金・中間金はいただきません。上記の想定では譲渡価額1,800万円に対して150万円となり、廃業費用を自己負担する場合と比べて手元に残る額の差は小さくないはずです。
なお、株式譲渡と事業譲渡では課税の枠組みが異なり、個別の税額は事務所の状況によって変わります。具体的な税額の計算や有利不利の判断は、必ず顧問税理士にご確認ください。廃業と売却の比較そのものは「廃業と売却、どちらが得か」でも視点を変えて整理しています。
「継ぐ責任」を果たすための3つの行動
行動1:引退時期から逆算して3年前に検討を始める
買い手探し、条件交渉、引継ぎの並走まで含めると、相談から成約後の引継ぎ完了までには一定の期間が必要です。体調や意欲が落ちてから動き始めると、選べる相手が減り、条件も不利になります。まだ現役で回せているうちに検討を始めることが、結果として依頼者を守ります。
行動2:候補を県内に限定しない
「この県に継げる人はいない」は、県内だけで探した場合の結論です。隣県の鑑定会社、都市部から地方拠点を探している鑑定会社、鑑定機能を持ちたい地元の不動産会社や士業法人まで広げると、候補の見え方は変わります。地方特有の事情と選択肢は「地方の鑑定事務所は誰が継ぐのか」で3類型を比較しています。
行動3:廃業を選ぶ場合でも「引き継ぎ先」を用意する
検討の結果、承継ではなく廃業を選ぶ判断はもちろんあり得ます。その場合でも、継続的に依頼してくれた金融機関や自治体に、信頼できる近隣の鑑定士を紹介してから閉じることはできます。顧客名簿を渡すという意味ではなく、依頼者が次の相談先を自力で探さずに済むようにする、という意味です。これも「継ぐ責任」の果たし方のひとつだと断言します。
まとめ
鑑定事務所の廃業は、代表個人の引退にとどまらず、地域の評価機能をひとつ減らす出来事です。承継という選択肢を一度も検討せずに閉じてしまうのは、もったいないと私たちは考えます。要点を振り返ります。
- 鑑定業者は3,398業者・鑑定士8,789人(令和7年1月1日現在)で、多数は小規模事務所。1事務所が閉じる影響が大きい構造です
- 業者所属の鑑定士は平成23年から令和6年で約11%減、知事登録業者所属では約13%減と、地方の減少が際立ちます
- 廃業は金融機関・自治体・裁判所・個人の依頼者それぞれに影響し、土地勘・緊急対応・公的評価・育成という4つの空白を残します
- 想定ケースでは、廃業は純資産から廃業費用を引いた額が残るのに対し、承継では譲渡価額と並走報酬、職員の雇用維持まで設計できます
- 検討は引退の3年前から、候補は県内に限定せず、廃業を選ぶ場合でも依頼者の引き継ぎ先を用意することが「継ぐ責任」です
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執筆者
吉田 健人代表取締役社長・不動産鑑定士
外資IT企業で法人営業に従事するかたわら、不動産鑑定士として株式会社KRE Appraisalを設立。鑑定実務と外資ITの営業・M&A支援の経験を活かし、不動産鑑定会社のM&A・事業承継を支援している。
不動産鑑定士/宅地建物取引士/賃貸不動産経営管理士
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