買い手がつかない鑑定事務所には何が足りないのか?譲渡できる事務所との分かれ目5項目
買い手がつかない鑑定事務所に足りないのは規模ではなく、買い手が確認できる材料です。専任鑑定士が代表1人、契約書と記録がない、業務が代表の頭の中、数字の裏付けがない、売り手の条件が未確定という5つの分かれ目を、改善手順と価格の試算とともに不動産鑑定士が整理します。
「うちの事務所は、たぶん売れない」。そう考える所長の理由は、多くの場合「規模が小さいから」「地方だから」「自分がいなくなったら誰も来ないから」という三つに集約されます。しかし、話が前に進まない事務所と、複数の買い手候補が名乗り出る事務所を分けるのは、売上でも所在地でもありません。
分かれ目は、もっと事務的なところにあります。専任の不動産鑑定士が誰か、依頼者との取り決めが書面で残っているか、業務の進め方が代表の頭の外に出ているか。どれも「あるかないか」で答えが決まる項目であり、今から手を付ければ変えられる項目でもあります。
不動産鑑定士として、買い手がつかない事務所に共通して欠けている5項目を挙げ、それぞれについて「なぜ致命傷になるのか」と「どこから直すのか」を整理します。売却を決めていない方にとっても、この5項目は事務所の足腰を測る物差しになります。
「値段が付かない」と「話が始まらない」は別の問題
価格の交渉に入る前に止まる案件がある
鑑定会社の譲渡がうまくいかないとき、原因は大きく二つに分かれます。ひとつは「価格が折り合わない」。もうひとつは「そもそも価格の話まで到達しない」です。
前者は、買い手が事務所の中身を評価したうえで、金額の見立てが売り手と違ったという状態です。交渉の余地があり、条件を組み替えれば成立することもあります。
後者は性質が違います。買い手候補に打診する段階で「確認できない事項が多すぎる」と判断され、検討そのものが打ち切られる状態です。この記事が扱うのは、この検討の土俵に上がれない事務所の話です。
「小さいから売れない」は原因の取り違えであることが多い
規模が小さいこと自体は、買い手がつかない理由になりません。むしろ鑑定業者登録と専任の不動産鑑定士を持つ事務所は、小規模でも買い手にとって意味があります。この点は売上3,000万円の事務所に買い手はつくのかで詳しく述べました。
断言します。話が止まる事務所の大半は、小さいからではなく、確認できないから止まっています。規模は変えられませんが、確認できる状態にすることは、今日からでも始められます。
分かれ目は5項目に集約される
買い手の立場で考えると、検討が途中で止まる理由は次の5項目にほぼ集約できます。
| 分かれ目 | 買い手が確認できないこと |
|---|---|
| 1. 専任鑑定士が代表1人 | 譲渡後に登録を維持できるか |
| 2. 契約書・記録がない | 何を引き継ぐことになるのか |
| 3. 業務が代表の頭の中 | 代表交代後も同じ仕事ができるか |
| 4. 数字の裏付け資料がない | 決算書の数字が実力かどうか |
| 5. 売り手の条件が未確定 | 誰と何を合意すればよいのか |
分かれ目1:専任の不動産鑑定士が代表1人しかいない
登録が途切れれば、買った意味がなくなる
不動産鑑定業を営むには国土交通大臣または都道府県知事の登録が必要で(不動産の鑑定評価に関する法律 第22条)、事務所ごとに専任の不動産鑑定士を置かなければなりません(同法 第35条)。専任の鑑定士がいなくなれば、鑑定業者としての体裁が保てません。
ここで問題になるのが、代表がただ1人の専任鑑定士であるケースです。買い手にとっての論点は単純で、「代表が抜けた翌日、この事務所は鑑定評価を受託できるのか」。答えが用意できない案件は、価格以前に前へ進みません。
登録の空白を作らない
買い手側に鑑定士がいれば解決する、とは限らない
「買い手が鑑定会社なら、あちらの鑑定士を送り込めばよい」と考えたくなりますが、専任は事務所に常駐して専ら業務に従事することが前提であり、遠隔地の事務所に名義だけ置く解決策は取れません。
どこから直すか
- 在籍鑑定士がいるなら、専任の届出状況と、譲渡後も残る意思があるかを確認する
- 在籍鑑定士がいない場合は、勤務鑑定士の採用、または買い手側から鑑定士を迎えられる譲渡先に絞る、のいずれかを早めに決める
- 代表が一定期間残って並走する前提を、最初から条件に組み込む(並走期間は1〜3年で設計するのが一般的です)
代表1人の事務所が譲渡できないわけではありません。「並走で登録をつなぐ」設計を売り手側から示せるかどうかで、買い手の反応は大きく変わります。
分かれ目2:契約書と記録が残っていない
買い手は「引き継ぐ対象」を特定できないと買えない
長く続いている事務所ほど、依頼者との関係が口頭と慣習で成り立っています。「毎年3月に電話が来て、そのまま受ける」。それ自体は信頼の証ですが、譲渡の場面では扱いに困ります。買い手が引き継ぐのは関係ではなく契約です。契約が書面で存在しなければ、引き継ぐ対象を特定できません。
特に確認を求められるのは次の4種類です。
- 依頼者との基本契約・業務委託契約(継続的な受託がある場合)
- 職員との雇用契約と就業規則
- 事務所の賃貸借契約(承継や名義変更の可否を含む)
- 評価システム・事例データベース等の利用契約
鑑定評価書の保存状況も見られている
鑑定評価書とその関係書類は、事務所で保存しておくべき記録です。買い手は、過去の評価書がどこに、どの形式で、どこまで残っているかを確認します。資産の確認であると同時に、賠償リスクの確認でもあります。紙が段ボールに積まれているのか、案件台帳と紐づいて検索できるのかで、印象はまったく違います。
棚卸しは一覧表から始める
どこから直すか
- 上位の依頼者から順に、書面のない継続取引を洗い出す
- 雇用条件が口約束になっている部分(賞与、退職金、残業の扱い)を文書化する
- 評価書の保存場所と保存年限を整理し、電子化の範囲を決める
分かれ目3:業務と顧客が代表の頭の中にしかない
手順が言葉になっていない仕事は、資産として数えられない
鑑定評価は判断の連続です。どの事例を採用し、どの補正を選び、どの水準で落ち着かせるか。その判断が代表の経験に閉じていると、買い手は「この事務所を買っても、同じ品質の評価書は作れない」と考えます。
鑑定業者に所属する不動産鑑定士等は平成23年の5,057名から令和6年の4,496名へ約11%減少し、知事登録業者では約13%の減少とされています(国土交通省「業務領域の拡大等を通じた不動産鑑定士の担い手確保に向けて〜論点整理〜」令和7年3月)。人を採って埋めるのが難しい以上、買い手は「今の人員で回る仕組みがあるか」を厳しく見ます。
顧客との接点が代表1人に集中していないか
依頼者が「所長にお願いしたい」と言い続けている事務所は、譲渡後の離脱リスクが高いと判断されます。依頼者の窓口が代表1人に集中しているかどうかは、譲渡後の売上がどれだけ残るかに直結します。
どこから直すか
- 受託から納品までの手順を、A4で2〜3枚のメモにする。完璧な業務マニュアルを目指さない
- 主要な依頼者の窓口に、職員または在籍鑑定士を副担当として同席させる
- 事例収集の方法、よく使う資料の入手先、役所調査の勘所を書き出す
- 代表が2週間不在でも受注と納品が止まらないか、実際に試す
「頭の中にあるものを紙に出す」だけで買い手の評価は変わります。費用がかからず、効果が最も早く出る項目です。
分かれ目4:数字の裏付け資料が出てこない
検証できない数字は、無いものとして扱われる
「実際はもっと利益が出ている」という説明は、鑑定会社の譲渡ではよく出てきます。代表の役員報酬を高めに設定している、私的な支出が経費に混ざっているなど、それ自体は珍しいことではなく、買い手も織り込んで見ています。
問題は、その説明を裏付ける資料が出てこないときです。買い手は確かめられない数字を価格に織り込めません。結果として、決算書に印字された利益だけで評価されるか、検討自体が見送られます。数字の整え方そのものは売却前に整えるべき3つの数字で解説しています。
最低限そろえておく資料
- 直近3期の決算書と法人税申告書一式(勘定科目内訳明細書を含む)
- 依頼者別・依頼目的別の売上一覧(直近3年)
- 公的評価の受託一覧(委嘱・契約の名義、期間、更新時期)
- 役員報酬・役員借入金の推移がわかる資料
不確かな数字を強気に語らない
どこから直すか
- 期中から、事業用と私的な支出を区分して経理する
- 顧問税理士に売却の可能性を早めに共有し、資料の出し方を相談する
- 公的評価は名義(個人か法人か)ごとに一覧化する
分かれ目5:売り手の条件が固まっていない
条件が動く案件から、買い手は静かに離れる
意外に多いのが、売り手側の意思決定が固まらないまま話を始めるケースです。希望価格が面談のたびに変わる、引退時期を決めていない、株主である親族の同意が取れていない。買い手は「誰と何を合意すればよいのか分からない」と感じ、他の案件へ移ります。
決めておくべきは、次の4点です。
| 決めること | 具体的な中身 |
|---|---|
| 出口の時期 | いつまでに代表を退くのか |
| 並走の可否 | 譲渡後に何年、どの関与度で残るか |
| 譲れない条件 | 職員の雇用、屋号、依頼者への説明方法 |
| 意思決定者 | 株主・親族の同意が取れているか |
準備の進め方は売却は引退3年前からをご参照ください。
5項目を整えた場合と整えない場合(想定されるケース)
年買法(時価純資産に営業利益の数年分を加えて価格の目安を出す方法)で考えます。時価純資産1,500万円、正常化後の営業利益900万円の事務所を想定します。
| 状態 | 評価の考え方 | 価格の目安 |
|---|---|---|
| 5項目が整っている | 1,500万円+900万円×3年 | 約4,200万円 |
| 一部が未整備 | 1,500万円+900万円×1年 | 約2,400万円 |
| 1・2・4が欠けている | 検討が進まず打診が止まる | 提示に至らない |
差は金額だけではありません。整っていない事務所は買い手候補に紹介できる材料がそろわず、時間だけが過ぎます。時間の経過は、代表の年齢とともに条件を悪くしていきます。なお上記は仮定の数値であり、実際の価格は個別事情によって変わります。
どこから直すか
- 家族・株主と、譲渡の可能性について一度きちんと話す
- 「これだけは譲れない」条件を3つに絞って書き出す
- 希望価格は幅で持ち、根拠(純資産と利益)を自分の言葉で説明できるようにする
まとめ
買い手がつかない事務所に足りないのは、規模でも知名度でもなく、買い手が確認できる材料です。5項目はいずれも、お金をかけずに着手できます。
要点を振り返ります。
- 話が止まる案件の多くは、価格の不一致ではなく「確認できない」ことが原因である
- 専任の不動産鑑定士が代表1人の場合は、登録をどうつなぐかの設計を売り手から示す
- 契約書・雇用条件・賃貸借・評価書の保存状況を書面で特定できる状態にする
- 業務手順と顧客窓口を代表の頭の外に出す。A4数枚のメモからで構わない
- 決算書の数字は、裏付け資料とセットでなければ価格に反映されない
- 出口の時期・並走の可否・譲れない条件・意思決定者の4点を先に固める
後継者が見当たらないまま日々の業務に追われている所長様、引退を考え始めた鑑定士の方、顧問先から事業承継の相談を受けている税理士・弁護士の先生方は、この5項目を一度当てはめてみてください。今は売らないという結論になっても、整えた内容は事務所の運営を楽にします。
鑑定会社の売却・承継・買収をご検討の方は、秘密厳守の無料相談をご利用ください。今の事務所がどの項目でつまずいているのか、どこから手を付ければ買い手に届く状態になるのかを、不動産鑑定士の視点で一緒に整理します。
- #買い手がつかない
- #専任の不動産鑑定士
- #契約書の整備
- #譲渡準備
- #事業承継
鑑定業者の登録や専任の不動産鑑定士、公的評価の扱いまで含めた承継の全体像は鑑定会社のM&A・事業承継のページでまとめています。

執筆者
吉田 健人代表取締役社長・不動産鑑定士
外資IT企業で法人営業に従事するかたわら、不動産鑑定士として株式会社KRE Appraisalを設立。鑑定実務と外資ITの営業・M&A支援の経験を活かし、不動産鑑定会社のM&A・事業承継を支援している。
不動産鑑定士/宅地建物取引士/賃貸不動産経営管理士
鑑定会社の売却・買収・承継を、同業の鑑定士に相談する
相談無料・完全成功報酬・秘密厳守。会社名を伏せたままでも構いません。
関連記事

鑑定会社の売却は「引退3年前」から始めるべきか?今すぐ着手できる準備リストとチェックシート
鑑定会社の売却準備を引退3年前から始めるべき理由と、今すぐ着手できる5つの準備(依頼目的別売上の整理、属人性の低減、契約書・鑑定評価書の整備、職員体制と公的評価の棚卸し、決算の見せ方)を、チェックリスト形式で整理します。準備が早いほど、買い手の評価と引継ぎの確実性は高まります。
読了 約6分

買い手は決算書のどこを見るのか?鑑定事務所が売却前に整えるべき3つの数字と正常化の実務
鑑定事務所の決算書は、そのままでは会社の稼ぐ力を表していません。買い手が最初に見る3つの数字(正常化後の営業利益・売上の構成・時価純資産)を示し、役員報酬や保険料を調整する正常化の実務を、営業利益120万円の想定ケースで不動産鑑定士が整理します。
読了 約10分

不動産鑑定士の引退はいつ決めるべきか?年齢・体力・公的評価の任期から逆算する「引退時期の決め方」と3つの出口別スケジュール
不動産鑑定士の引退時期をどう決めるか。年齢・体力、公的評価の任期サイクル、顧客への責任、家族と資産の4つの軸で判断基準を整理し、廃業・親族や従業員への承継・第三者承継の3つの出口ごとに、引退の何年前に何を始めるかを逆算スケジュールで示します。「まだ元気だから」が最も高くつく理由も解説します。
読了 約7分