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鑑定会社M&Aの基礎読了 約12

代表が突然倒れたら鑑定事務所はどうなるのか?2週間・30日の期限と今日書くべき3つの書面

鑑定事務所の代表に万一があると、専任の不動産鑑定士を欠いてから2週間、死亡等の届出は30日という期限が同時に動き出します。個人登録は相続できず、法人でも遺言がなければ株式が共有となり後任代表を選べません。宙に浮く仕組みを想定ケースで示し、今日書ける3つの書面を整理します。

「自分が倒れたときのことなんて、まだ考えていません」。鑑定士お一人で事務所を営む方から、そう言われることがあります。引退の時期も決めていないのに、万一の話など先の先だ、と。そのお気持ちは自然なものだと思います。

けれども、鑑定業には他の商売にはない事情があります。事務所ごとに専任の不動産鑑定士を置かなければならず、その要件が欠けたときに与えられる猶予は2週間しかありません。代表がそのまま専任の鑑定士を兼ねている事務所では、代表に万一があった瞬間から、この2週間の時計が動き出します。そして残された家族は、鑑定業の作法も、仕掛案件の中身も、預り資料の在りかも知りません。

この記事では、私たち鑑定士の立場から、代表に万一があった日から何が止まるのかを時系列で整理し、相続で事務所が宙に浮く仕組みを説明したうえで、今日から用意できる3つの書面を具体的に示します。縁起の悪い話ではなく、事務所という機能を預かる者の実務の話として読んでいただければと思います。

代表に万一があった日から、何が止まるのか

専任の不動産鑑定士が欠ければ、猶予は2週間

不動産鑑定業者は、その事務所ごとに専任の不動産鑑定士(その事務所に常勤して専ら鑑定業務に従事する鑑定士)を置かなければなりません。そして、この規定に抵触するに至った事務所があるときは、2週間以内に規定へ適合させるため必要な措置をとらなければならないと定められています(不動産の鑑定評価に関する法律第35条)。

鑑定士が代表お一人の事務所では、代表がそのまま唯一の専任鑑定士です。倒れた日から2週間のうちに、別の鑑定士を専任として配置するか、事務所を廃止するかを決めなければならない。この2週間は、家族が葬儀と諸手続に追われている期間とそのまま重なります。現実には、誰も気づかないまま期限を過ぎるということが起こり得ます。

個人事業か法人かで、登録の行方は正反対になる

同じ「事務所を継ぐ」でも、個人の鑑定業者と法人とでは前提がまったく違います。

個人として鑑定業者登録を受けている場合、その登録は代表個人に与えられたものです。相続人が鑑定士であっても、登録そのものを譲り受けることはできません。事務所を続けるには、相続人が自分の名前で新たに登録を受け直す必要があります。つまり、登録は一度途切れます。

法人として登録を受けている場合、法人格は代表が亡くなっても存続しますから、鑑定業者登録そのものは消えません。消えないからこそ、代表者の変更届などの手続を誰かが行わなければならず、専任鑑定士を欠いた状態を2週間以内に是正する義務も法人に残り続けます。株式譲渡と事業譲渡で登録の扱いがどう変わるかは、平時のM&Aの文脈で「鑑定業者登録はM&Aでどうなる?」に整理しています。

死亡等の届出は、相続人の義務になる

不動産鑑定業者が死亡したときや廃業したときなどは、その日(死亡の場合はその事実を知った日)から30日以内に、登録をした国土交通大臣または都道府県知事に届け出なければなりません(同法第29条)。個人業者が亡くなった場合、この届出義務を負うのは相続人です。

鑑定業と縁のないご家族に、この義務の存在を知る機会はまずありません。事務所の書類のどこにも書かれていなければ、期限は静かに過ぎていきます。

仕掛案件・預り資料・入金が同時に止まる

法令上の期限だけではありません。実務は、もっと早く止まります。仕掛中の鑑定評価は、署名すべき鑑定士がいなくなった時点で完成できず、依頼者は納期を過ぎても成果が出ないまま置かれます。手元には、お預かりした登記簿謄本や賃貸借契約書、決算書といった資料が残ります。

  • 仕掛案件:完成できず、依頼者への説明もできない
  • 預り資料:返却先と返却方法が分からない
  • 未請求の売掛金:請求書が出ず、そのまま回収漏れになりやすい
  • 経費の引き落とし:賃料・リース料・保険料は止まらない
  • 職員:給与の支払い主体が不明確になり、離職が始まる

相続で「宙に浮く」鑑定会社

株式は、遺言がなければ相続人の共有になる

法人の場合、代表が保有していた株式は相続財産です。遺言がなければ、遺産分割協議が整うまで相続人の共有状態に置かれます。配偶者と子2名であれば、法定相続分は配偶者2分の1、子が各4分の1です。

共有株式の議決権は、権利を行使する者を1人定めて会社に通知しなければ原則として行使できません。相続人の間で意見がまとまらない限り株主総会が開けず、後任の代表取締役すら選べない状態が続きます。事務所は法的には生きているのに、意思決定だけが止まる。これが「宙に浮く」ということです。

鑑定士でない相続人は、事務所を動かせない

ご家族が鑑定士であることは稀です。相続人が鑑定士でない場合でも、専任の鑑定士を置けば鑑定業者登録を維持すること自体は可能です。しかし、それは「置ける鑑定士がいれば」の話です。

鑑定業者に所属する不動産鑑定士等は、平成23年の5,057名から令和6年には4,496名へと約11%減少し、なかでも知事登録業者所属は約13%減と、地方の小規模事務所からの減少が際立っています。年齢構成も40〜60歳代が74%を占め、30歳代以下は7%にすぎません(出典:国土交通省 不動産・建設経済局 地価調査課「業務領域の拡大等を通じた不動産鑑定士の担い手確保に向けて〜論点整理〜」令和7年3月24日)。

平時の採用ですら難しい人材を、2週間で、しかも相続人同士の合意もないまま探し当てる。現実的とは言えないと私たちは考えます。

期限は同時にやって来る

代表に万一があった後、ご家族が向き合う主な期限を整理します。鑑定業に固有のものと、相続一般のものが同時に走ります。

出来事期限根拠・備考
専任の不動産鑑定士が欠けた2週間以内に必要な措置鑑定評価法第35条
死亡等の届出事実を知った日から30日以内鑑定評価法第29条。個人業者は相続人が届出
相続放棄・限定承認の判断相続の開始を知った時から3か月以内民法。判断は弁護士にご確認ください
準確定申告4か月以内所得税法。税理士にご確認ください
相続税の申告・納付10か月以内相続税法。税理士にご確認ください

最初に来る2週間が、最も短く、最も知られていません。

想定されるケース:鑑定士1名の法人で何が起きるか

ケース設定

地方都市で、代表鑑定士1名・事務員1名が営む法人を想定します。売上1,800万円、営業利益450万円、純資産700万円。代表は60代後半で、そのまま唯一の専任鑑定士。売上の内訳は固定資産税評価と地元金融機関の担保評価が中心です。相続人は配偶者と子2名で、いずれも鑑定士ではありません。実在の案件ではなく、比較のための仮の設定です。

備えがなかった場合の時系列

代表が急逝すると、その日から専任鑑定士を欠いた状態になります。ご家族は葬儀の対応に追われ、事務所には仕掛案件が5件ほど残ったままです。1週間後、依頼者から事務員に催促の電話が入りますが、事務員には署名の権限も、他の鑑定士への引継ぎを決める権限もありません。2週間が過ぎ、是正措置の期限を経過します。

1か月が経つ頃、ご家族は届出の存在を知ります。並行して株式を誰が引き継ぐかの話し合いが始まりますが、遺言がないため協議はまとまりません。その間も賃料とリース料は引き落とされ、事務員は離職します。数か月後、結論は廃業に落ち着き、顧客も受託台帳も蓄積した評価履歴も、値段がつかないまま消えます。

廃業と、生前に承継していた場合の比較

廃業を選んだ場合、手元に残るのは純資産から清算費用を差し引いた額です。解散・清算の登記、専門家への報酬、事務所の原状回復、鑑定評価書等の保存費用などを合わせて仮に150万〜250万円とすると、純資産700万円から差し引いて450万〜550万円が目安になります。将来の営業利益450万円は、当然ながらゼロになります。

一方、代表がお元気なうちに承継していた場合、譲渡価額は年買法(純資産に営業利益の1〜3年分を加えて見積もる考え方)で試算します。純資産700万円に営業利益450万円の1〜2年分を加えると1,150万〜1,600万円。ここから廃業時に不要となる清算費用を考えれば、差は700万〜1,100万円程度になります。

これはあくまで一つの想定であり、実際の価格は公的評価の承継可否、属人性の程度、職員の残留見込み、買い手との交渉によって上下します。この金額を保証するものではありません。売却相場の考え方は「鑑定会社はいくらで売れるのか」で詳しく整理しています。

注意

差額は金額だけではありません。備えがある場合は仕掛案件が完成し、依頼者と預り資料が行き先を得ます。備えがない場合、その全てがご家族の負担として残ります。

今日書いておくべき3つの書面

1. 事務所の緊急引継ぎメモ

最も早く、最も安く作れて、最も効く1枚です。ご家族が最初に開く場所に置いてください。難しい書式は要りません。次の項目を書き出すだけで十分です。

  • 登録行政庁の名称と連絡先、登録番号、届出が30日以内に必要であること
  • 仕掛案件の一覧(依頼者名・連絡先・目的・進捗・納期)と、預り資料の保管場所
  • 専任鑑定士が欠けた場合に最初に連絡してほしい協力鑑定士の氏名と連絡先
  • 事務所の賃貸借契約・リース契約・賠償責任保険の証券の保管場所
  • 顧問税理士・顧問弁護士・取引金融機関の担当者名と連絡先
  • 業務用の預金口座、請求書の発行方法、未請求の売掛金の把握方法

紙で1枚、金庫やファイルの最前に。データだけで残すと、パスワードが分からず開けない事態が起こります。半年に一度、仕掛案件の欄だけを書き換える運用にすれば、更新の負担もほとんどありません。

2. 遺言書(株式を分散させない)

法人であれば、株式を誰に渡すかを遺言で明確にしておくことの意味は大きいと断言します。共有状態を避けるだけで、後任代表の選任という最初の一歩が踏み出せるようになるからです。

事業用資産と家庭用資産の配分、遺留分への配慮、遺言執行者の指定といった論点は、ご家族の状況によって最適解が変わります。具体的な内容の設計と作成方法(公正証書遺言とするかどうかを含む)は、必ず弁護士にご確認ください。税務上の取扱いについては税理士にご確認ください。私たち鑑定士がお手伝いできるのは、事務所という事業そのものの価値を、承継を前提とした目線で整理することです。

3. 協力鑑定士との事前の覚書

3つ目は、鑑定業に固有の備えです。同じ地域、あるいは同じ士協会でお付き合いのある鑑定士と、万一の際に相互に支援し合う旨の覚書を交わしておく方法があります。

盛り込む内容は、専任の鑑定士を欠いた場合に一定期間は専任として登録に協力する意向、依頼者の同意を得たうえで仕掛案件を引き継ぐ手順、預り資料の返却と守秘義務の取扱い、報酬の決め方の目安といったところです。法的な拘束力を細かく詰めるより、「誰に連絡すればいいか」を家族が分かる状態にしておくことに、まず意味があります。

ポイント

3つの書面は、順番に作る必要はありません。緊急引継ぎメモは今日の30分で書けます。まずそこから始めて、遺言と覚書は専門家と相談しながら進めるのが現実的です。

元気なうちに出口を決めておくという選択

備えの最終形は、承継先を決めてしまうこと

3つの書面は、あくまで「万一のとき、事務所が止まらないようにする」ための備えです。より根本的な解決は、お元気なうちに承継先を決め、並走しながら引き継いでしまうことです。

生前の承継であれば、あなたは対価を受け取ったうえで、顧客への紹介も、評価の考え方の伝達も、自分の手で行えます。依頼者は担当者が変わっても評価の質が変わらないことを確認でき、ご家族は事務所の後始末という負担から解放されます。並走しながら引き継ぐ期間の設計は「売却後も働けるのか」にまとめています。

「まだ早い」と「もう遅い」の間は、意外に短い

不動産鑑定士の登録者数は令和7年1月1日現在で8,789人、不動産鑑定業者の登録数は3,398業者です(出典:国土交通省「不動産の鑑定評価に係る登録状況」令和7年1月1日現在)。単純に割れば1業者あたり3名に満たず、代表に万一があれば事務所が止まるという構造は、例外ではなく標準だと分かります。

承継には、相手を探し、条件を詰め、引継ぎを終えるまでに相応の時間がかかります。健康に不安が出てから動き始めると、選べる相手も条件も狭まります。だからこそ、元気なうちに考えることに意味があります。

まとめ

代表に万一があったとき、鑑定事務所は他の商売より早く、そして深く止まります。専任の不動産鑑定士を欠いてからの猶予は2週間しかなく、届出は事実を知った日から30日以内で、その義務を負うのは鑑定業を知らないご家族です。備えの有無が、事務所の行き先と、ご家族が背負う負担を大きく変えます。

要点を振り返ります。

  • 専任の不動産鑑定士を欠いた場合、2週間以内に必要な措置をとる義務があります(鑑定評価法第35条)
  • 死亡等の届出は事実を知った日から30日以内で、個人業者の場合は相続人が届出義務者です(同法第29条)
  • 個人登録の場合、登録は相続できません。法人の場合も、遺言がなければ株式が共有となり後任代表を選べません
  • 鑑定業者所属の鑑定士等は令和6年で4,496名と平成23年から約11%減少しており、2週間で代替の鑑定士を探すのは現実的ではありません
  • 今日から用意できるのは、緊急引継ぎメモ・遺言書・協力鑑定士との覚書の3つです。メモは30分で書けます
  • 最も確実な備えは、お元気なうちに承継先を決め、並走しながら引き継ぐことです

鑑定士お一人、あるいは少人数で事務所を営んでいるオーナー鑑定士の方、そしてそうしたお客様から事業承継のご相談を受ける税理士・弁護士の先生方にこそ、一度お考えいただきたいテーマです。事務所は、代表個人の持ち物であると同時に、地域の依頼者が頼ってきた機能でもあります。その機能を誰にどう渡すかは、元気なうちにしか決められません。

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  • #事業承継
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本記事は一般的な情報提供を目的としており、個別の案件に対する助言ではありません。記載の価格・相場は目安であり、実際の譲渡価額は個別の交渉により決まります。税務・法務の具体的な判断は、税理士・弁護士等の専門家にご確認ください。
吉田 健人

執筆者

吉田 健人代表取締役社長・不動産鑑定士

外資IT企業で法人営業に従事するかたわら、不動産鑑定士として株式会社KRE Appraisalを設立。鑑定実務と外資ITの営業・M&A支援の経験を活かし、不動産鑑定会社のM&A・事業承継を支援している。

不動産鑑定士/宅地建物取引士/賃貸不動産経営管理士

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